正國寺の歴史

〇正國寺の由来

・井手氏は秋月公一行と共に天正15年に串間に来着

※天正15年(1587年)に豊臣秀吉の九州平定の軍勢が九州へ進軍。当時、筑前、豊前、筑後国北部に36万石にも及ぶ広大な所領を有し秋月氏の最盛期を築き上げていた秋月種実は、島津家との義盟に従い秀吉との抗戦を宣告し、島津方に与して秀吉率いる豊臣勢と戦い敗北した。降伏することとなった種実は剃髪し、楢柴肩衝と国俊の刀を秀吉に献上し、娘の竜子を人質に出したことにより秋月氏は存続を許されたが、秀吉の命令で日向国財部(後の高鍋)3万石に減移封された。

 

〇開基 

・慶長12年(1607) 立山を拓きご本尊御影を安置し道場を開く

・寛永13年(1636) 御本山より高立山正國寺と山号寺号を給い、代々、御本寺直来と称す。

・慶安4年(1651) 木佛尊形を御下付

・明暦4年7月4日(1658) 蓮如上人御影を安置

・寛文12年12月10日(1672) 親鸞聖人御影を安置

・寛文12年12月14日(1672) 聖徳太子御影、七高僧御影の許可

 

〇歴代住職

【開基住職】 釋宗徳 天正13年におかみそりを頂く 一代46年 84歳往生

【第二世】 釋慶順 一代28年 萬治2年(1659)77歳往生

【第三世】 釋了順 一代10年 寛文9年(1669)64歳往生

【第四世】 釋教順 道場の形式 出佛壇が整えられる 宝永7年(1710)84歳往生

【第五世】 釋宗順 事績不詳

【第六世】 釋順詠 事績不詳

【第七世】 釋雲蓮 事績不詳

【第八世】 釋享順 本堂を建立 寛政12年(1800)78歳往生

【第九世】 釋教圓 天保2年(1831)63歳往生

【第十世】 弘教院釋僧蘭法師 第九世釋教圓の子弟なきため、豊後国岡領の入楽寺より入寺する 御本山御兼帯所を仰せつけられる

 ※兼帯所とは本山の直轄寺院という意味であり、本山の宗主が住職を兼帯する(かねる)ということから名づけられています。当時は、となりの薩摩藩では、真宗の信仰が禁止され、弾圧が行われていました。正國寺は、その真宗禁止の弾圧の中、命を懸けてお念仏を守っていた薩摩のかくれ門徒の人々の拠り所として、薩摩のかくれ門徒の人々をかくまい、また、彼らと京都の御本山をつなぐ役目を担っていたとされています。

【第十一世】 弘誓院釋大円法師 明治14年十間四面の本堂建立 明治35年(1902)67歳往生

【第十二世】 順信院釋道現法師 内陣荘厳をととのえる 参道の石段を開設 梵鐘、鐘楼堂建立 本山総会所布教出勤2回 昭和19年2月9日原因不明の出火にて本堂庫裡が全焼する 昭和21年(1946)2月20日70歳往生

【第十三世】 眞興院釋憲彰法師 昭和29年(1954)2月7日56歳往生

【第十四世】 立山院釋英彰法師 昭和32年太平洋戦争時の国家総動員の金属供出によって喪失した梵鐘を再鋳 昭和33年(1958)大束の地に大信山誓願寺を拓き、住職を弟である釋隆彰師に託し、大束門徒は誓願寺公称となる 昭和38年(1965)現正國寺本堂を建立 昭和44年(1971)6月無量寿堂を建立 昭和53年(1978)1月大慈悲堂を建立 平成30年2月8日93歳往生

【第十五世】 釋真教 現住職

 

トップへ戻る